漫画家  真倉 翔 (まくら しょう)
武豊小学校 武豊中学校 武豊高校卒業
大学卒業後、1年半サラリーマンの経験を経て、1990年に「天外君の華麗なる悩み」で集英社「週刊少年ジャンプ」でデビュー。1993年~1999年にかけて岡野剛氏と共に手がけた「地獄先生ぬ~べ~」が大ヒット。

集英社から全31巻のコミックで発売され、テレビアニメ化、アニメ映画化、テレビゲーム化、実写ドラマ化されている。


©集英社
2025年最強ジャンプ6月号より「地獄先生ぬ~べ~怪」5月14日より少年ジャンプ+にて
「地獄先生ぬ~べ~PLUS」のW新連載開始
            

幼稚園の頃からずっと好きでした。武豊に引っ越してきた小学5年生の頃から友達と10cmくらいの正方形の紙をホッチキスで留めたような漫画本を作っていました。読むのも好きでしたが、漫画を描く方がもっと好きでした。

―当時、憧れていた漫画家はいますか? どのような作品が好きでしたか?

憧れの漫画家は手塚治さん、高橋留美子さんです。「ブラック・ジャック」や「うる星やつら」が好きな作品です。手塚治さんは特に尊敬していて、「地獄先生ぬ~べ~」の中でもトンネルに閉じ込められる話など、結構似たようなネタを使ったことがあります。

―本格的に漫画家を職業にしようと思ったのはいつ頃でしたか?

ぼんやりと考えていたのは高校から大学くらい。一度はサラリーマンになったけれど、仕事で製図を書いてても漫画を描いちゃう、ガンダムとかを書いてしまうダメ社員でした(笑)。このまま続けても、自分の人生はそんなものかなと思って、挑戦をしてみたかった。本当に決断したのは就職してから。
一度は諦めた夢だけど、考え直しました。

当時は、小学館を目指して作品の持込みをしたが難しく、集英社に原稿の持込みをした。集英社は受け入れる作品の幅が大きくて、絵が汚くても面白ければいい!っていう風潮があった。集英社に持込みに行った時の担当者が、佐々木さんという「バクマン」という漫画に出てくる編集長のモデルで、「ああ、君、面白いね」「コイツは何かもっている」と言ってもらいました。その後、「るろうに剣心」の和月先生とか「BØY」の梅沢先生も、その佐々木編集長が輩出した漫画家です。

―初めて少年ジャンプで連載が決まった時は、どのようなお気持ちでしたか?

そりゃ嬉しいよね!「地獄先生ぬ~べ~」の連載の前に、ちがう作品で絵まで描いて連載をしているんだよね。ジャンプの連載って10週で読者の人気がなかったら連載が終わるの。まず試しに10週の連載をやる。雑誌って前倒しで描いているんだけど、終了宣言されるのは3週目。1週,2週と読者のアンケート票が悪くて、3週目で急に焼肉屋に呼ばれる(笑)焼肉屋で「申し訳ない!連載終了です」って言われた。俺はボロボロ泣いたよ。すごく時間がかかってここまで辿りついたのに。初めて大手の集英社に持ち込んだのが30歳手前、漫画家年齢では結構、歳がいっていたほうで、最後のチャンスかもしれないって思っていたからね。連載終了を言われて、人前なんか気にせず泣いたことがある。

でも、編集者に君の作るストーリーは面白いから絵が上手い岡野剛先生と2人組んでみたら?と言われた。これがぬ~べ~の始まりです。

―本格的な連載が決まるまで、一番大変だったことはなんですか?

一番大変なことは、やっぱりご飯を食べていくこと。上京した時に40万くらいしか持っていなくて、そのお金で家を借りたら、あっという間にお金がなくなって困った。だからセブンイレブンや洗車場でアルバイトをしたこともある。小さな出版社で本を出したこともあったが、当時は苦労しました。

真倉さんのヒット作『地獄先生ぬ~べ~』についてのことをお聞かせください。

―基本一話完結のお話ですが、お話のアイデアはどのようにして生まれますか?
また、創作を続ける上で、普段はどんな時にアイデアが浮かびますか?

出版社が神保町って所で、近くの神田って所に古本屋がたくさんあった。
当時はインターネットがない時代だから、手当たり次第に本を買って調べた。

アイデアってよりは、自分が絶対に描きたいシーンがあって、そのシーンに行きつくまでの流れの中に、どんな妖怪を登場させて、その妖怪が持っている能力をどう合わせるのかを考えます。アイデアが出ない時は、もう一回資料を読み直すか、映画をたくさん見たり、本を読んだりします。自分の作品から少し離れて、他の人の作ったものを見て新しい情報を入れます。

―漫画の舞台となる童守町、童守小学校は真倉さんがご卒業された武豊小学校と似ているところはありますか?

似ているというより、そのままという感じ。小学5年生の時に武豊に引っ越してきて、新しい友達ができて、みんなで楽しく過ごせたのが5年3組だった。童守町は海辺があって山があって神奈川のあたりの架空の町の設定だけど、童守小の5年3組だけは当時の武豊小学校の5年3組そのものです。

―漫画の中で、都市伝説をもとにした怖い話がありますが、印象的な話はありますか?

どの時代にも都市伝説があるけど、僕らの時代は「花子さん」や「テケテケ」が流行って、「テケテケ」が怖かった。「テケテケ」は他の漫画でも取り上げられたことがなく、漫画の中で紹介できて良かった。

―「地獄先生ぬ~べ~」は原作が真倉翔先生、作画が岡野剛先生ですが、原作者と作画とは具体的にどのような役割分担をしていますか?

原作者はシナリオ(お話)を文字だけで描くのではなく、コマ割りやキャラクターの表情、ネーム(セリフ)まで含めた漫画の形で渡します。鉛筆書きの漫画がほぼ完成したら、作画の岡野先生が、この表情にしたい、などデザインを修正しながら仕上げを進めます。絵は完全に任せています。

以前は、「明日のジョー」などの原作漫画は文字で書かれたものを作画の漫画家が形にするスタイルだったけど、自分は絵も描ける漫画家なので、日本で初めてネーム原作者となった。その後、「バクマン」や「デスノート」のように、原作担当と作画担当が別々の漫画が増えてきました。

―2人で一つの作品を作る上で、作画の岡野先生とのコミュニケーションで意識しているところはありますか?

そりゃー気を遣うよね(笑)2人ともは喧嘩早いほうじゃなから、柔らかく「ここはこうしたほうがいいんじゃないですか?」「ここはこんな感じでやってくれたらいいんじゃないでしょうか?」と提案をします。岡野先生の絵でとても助かっている部分があるし、ギャグセンスで漫画が面白くなっていることもある。岡野先生とは言葉で言わなくても気持ちがわかる仲です。

―原作漫画がアニメになったり、実写ドラマ化されたりしますが、原作者の意向はどのようにして制作側に伝えることができますか?

基本的には会社側を通して伝えます。原作者から直接、制作側に伝えることはしません。おおまかなシナリオの段階で、このキャラクターはこのセリフをこんな言い方はしないかな、と伝えることがあります。今回の「地獄先生ぬ~べ~」のアニメはアフレコ現場に立ち合わせてもらっているので、「このセリフのニュアンスや言い方はこれでいいですか?」など、監督や演出家が丁寧に確認してくれます。

―いよいよ令和版「地獄先生ぬ~べー」のアニメが7月から始まりますが、見どころを教えてください。

怖いシーンはとても怖く演出されています。小学生のみなさんは震えあがってください(笑)そして、鵺野鳴介の鬼の手のシーンは、とてもカッコ良く、素晴らしいシーンになっています。ぜひ期待して見てください!!

最後に武豊町の児童のみなさんにメッセージをいただけますか?

みんなも大きくなるにつれて目標ができると思います。それを達成しようという時、僕のような特殊な仕事に限らず大切なのは周りの人との繋がりだと思います。僕の場合、スタッフとのコミュニケーションを一番大事にしています。僕を支えてくれる人々への感謝はいつも忘れません。みんなもどんな大人になるにしても、一人では何事も成し得ないという事を覚えておいてくださいね。

ポスタ-サインをいただきました!ゆめたろうプラザのロビーに展示します。

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